15mの津波

この津波が、今回の放射能汚染の引き金に・・

アホナ話・・・・福島第一原発の建設地

実は・・・海抜30Mだったのに

建設の際 10Mまで 整地したそうだ。

え~ アホデスよ 東電

これじゃ すでに 人災です~

適正地の現状には 海抜30Mの岸壁だった事も大きかったようなのです。

もったいない話
誠に残念な話です。

南相馬の岸壁の上に家が建つ知り合いが、津波の時
なんと被害に遭わなかった

信じられない

直後に訪問したが、周りの家は ほとんど破壊されていた。

知人の家は 雅に ギリギリ

何の被害も無い信じられない光景でした。

岸壁の高台に位置する

おそらく20Mはある知人の家

その下の家 10Mくらいの家は、半壊
5Mくらいのところは全壊
海岸沿いにあった家は 跡形も無く何も残っていない。

知人の家の横には、神社がある

ふと思ったが、神社(神様)が

ギリギリ助かっている????

昔、同じような災害があり
大丈夫なところに
建てたとしか思えない。
先人の知恵と行動には頭が下がる・・・不思議だ~



   15mの津波映像




福島第一原発建設時の記録より~ 

立地調査と用地取得の経緯

1950年代末頃の福島県は高度経済成長の波に乗り遅れ、産業近代化率も全国平均の270%と比較して126%と低位であった。このため福島県は産業誘致のため電源開発に努力していたが、エネルギー革命により常磐地区の石炭産業が斜陽化したため、新たなエネルギー源を模索していた。福島県は1960年日本原子力産業会議に加盟し、原子力発電事業の可能性について調査を実施、県内の海岸地帯が小名浜、相馬地区を除き単調、人口希薄、30m程度の断崖になっていたため適地であると判断し、下記の3か所を選定した。
県が提示した調査結果ではいくつか不足の点があったため、東京電力は追加調査を県に依頼し、大熊町に原子力発電所を建設する意向が内定した。大熊町の当該地は元々旧日本海軍飛行場跡地(長者ヶ原陸軍飛行場とする記述も見られる[2]。)を民間に払い下げた経緯があり、高さ30m余りの断崖で、戦後、国土計画興業[3]製塩のための塩田として広大な敷地[注 2]を買収していたが、製塩事業は調査時点では終了していた。また、残りの予定地もまた民有地だったが、一部が農地として使用されていた程度であり、残余は山林原野であった。東京電力は調査を進展させつつ[注 3]大熊、双葉の地元自治体に接触したところ、両町議会共全員賛成で発電所誘致を陳情した1964年に入ると用地買収交渉が開始され、沖合い800mに防波堤を建設して冷却用の海水を取水する計画となっていたため、漁業権、更には予定地に存在する鉱業権などについても取得の必要があった。また、この工事に際して国道6号線から発電所までのアクセス道も当時の国道並に拡幅された[4]。この後、更に予定地として30万坪が追加され、全体では90万坪の敷地が用地買収されることになった。買収価格としては付近の国道6号線の用地買収時に算定した価格や飛行場跡地を払い下げた時の計算を元にした価格が提示されたが、地権者からは低すぎるとの声があり、若干の金額をプラスして再度価格を提示し、個別交渉の末1964年7月には最初の60万坪については交渉を妥結、追加の30万坪についても農家が9戸ほど存在したが目立った反対運動はなかった。この時点で、4基程度の原子炉設置が計画されていたが、福島県の見込みとしては敷地の広大さから8基程度の建設が可能と考えていたことが記述されている[5]
なお、このような僻地に発電所を設置したのは当時の日本の原子力発電所設置の考え方として「万一の原子炉設備の破壊事故により放射性物質の大気拡散時に周辺公衆に重大な災害を及ぼさない」ため「発電所敷地を高い人口地帯から出来るだけ離すことを必要」としたからであった[6]

立地点の地形

本発電所の立地点は相双地帯南部の海岸段丘地帯に位置し、ゆるい傾斜のある丘陵であった。東側は上述のように元々は急峻な断崖であった。地質としては下層に砂岩、その上層にある富岡層に属するシルト岩が主体であり、更にその上を砂礫からなる段丘堆積層が覆っているが、その層厚は不整合である。砂岩はかなり締まっておりN値40以上であったという[7]。富岡層の層厚は200~400m、間にレンズ上の砂層を挟み、その他の性状は下記の様になっている[8]
敷地前面の海底形状は沖合600m、1000m、1300m付近に河線に平行して高低差2~3mの不規則な起伏があり、複雑な地形であるが、海底勾配は全体として沖合450m付近まで60分の1の急勾配、それより沖合は130分の1の緩勾配となっていると言う[9]。海底は基層である泥岩の上に深いところで2~3mの砂層が堆積し、水深が深くなると砂層の堆積は薄くなる傾向にあった。

運開から間もない頃の福島第一原子力発電所[10]

配置計画

なお、その後の技術誌には標高35mの台地と書かれているこれを標高10mまで掘削整地し、海岸線に平行してタービン建屋を設置、その陸側に原子炉建屋、主変圧器などを設置することとした。事務本館はタービン建屋の北側に設置し、超高圧開閉所は標高35mの台地上に設置した。台地を掘削したのは原子炉建屋など重要度の高い建物を岩盤に直接支持させるためであったが、津波の可能性は一定のレベルまでは考慮していた[11]


35Mの 安全な大地を 10Mまで 下げた ん~~~~アホだね~
住民の反対  無し  これじゃ文句言えないな~

危険の可能性を重要視してるな~

安全・安心は 安心させる為の 嘘か~~

今日、会津の方が言ってた。 安全な安い電気の方がええ~~って
「何で」・・・と聞くと  先般の大雨(豪雨)で 会津地方が
多大な被害を受けた~そうな・・
水力発電も10基の内 7基が被害に遭ったらしい。

でも、稼動していたのは3基だけと言うから 驚き

2/3の発電所は、停止状態らしい。

高くリスクのある 発電の方に向いている。 

日本中の水力発電を稼動すれば・・・原発いらないはずだ~・・・と

正確には、不明だが  わたしもそんな気がする。

危険なものに、高い金をかけても 未来は無いのが 悲しすぎる。

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